おっぱいの思い出②

出産を迎えるまで
めっちゃ本を読み漁って
知識だけは完璧だった私

それは「出産」だけのこと

出産をゴールにしてたので
育児のスタートとは
捉えてなかったから
いきなりこの
泣いてばかりの
ワケのわからん生物と
2人きりにされて
困惑するばかり

 

産院も調べて調べて

完全母乳
母子同床
フリースタイル出産

私の理想フルコンボ
の産院が小牧にあり
すぐそこに決めました

今なら分かるんですよ
私には個室よりも
大部屋の方が向いていることを(笑)

 

 

完全母乳
ミルクには一滴も頼らない

母子同床
出産後すぐ赤ちゃんと過ごすこと
産院によっては入院中は
ママの回復を優先させて
赤ちゃんは別室でお預かり
という院も多い

フリースタイル出産
分娩台ではなく
自分が一番ラクな姿勢で
出産する

 

私は
3人とも
バランスボールに
しがみついて出産

かつ
3回とも
実習生が相当数
見学してました
公開出産(笑)

 

出産は比較的ラクな方で
時間も出血もフツー

長男の出産後は
スキップして部屋に行ける程
元気でした

2人目の娘も
歩いて戻れたけど
3人目は寝返りもできない程
腰が立たなかった…

 

前回書いた
舌小帯異常に気づいたのは
実は私の母

私自身がそうだったから
母も経験者だったのです

昔はその場で先生が
チョンッてハサミで切ってたそう
さすがに現在の医療で
そこまでのザツさはありえない

切れば治るのに
何もしてくれない産院

 

入院している以上
動けない私

早く退院したい
そればかりでした

 

さすがにご飯を残しすぎて
調理室の人たちが
心配してくれたのか
夜におにぎりを作って
運んでくれて

おっぱい出さないとね

励まされて
また泣きながら食べて

 

 

私の命綱は
毎日来てくれる母が
持ってきてくれるフルーツ

夜にせっせと
ダンナが運んでくる
お茶

そして
義母が差し入れてくれる
シジミ汁

最初は「みそ汁??」
て謎でしたが
黄疸のでていた息子に
飲ます母乳には
シジミ汁が良いそうで
水筒にいれて
温かいものを届けてくれてました

お茶とフルーツ
冷えたご飯のところに
温かい味噌汁は
胃に染みた…

 

 

4日目には
とうとう看護師助産師総動員か
ってくらいの人数に囲まれて
授乳の特訓

泣き叫ぶ息子の頭を持って
おっぱいに押し付けてくる
その姿を見てるだけでも
辛かった

もうミルクにしたらいいって
何度も思った

表情もカラダも
ガチガチになって授乳する
私の肩に
スッて手が置かれたの

いつも担当助産師についてくる
実習生でした

彼女は
誰一人笑わないその空間で
1人だけ
微笑みかけてくれた

それで自分がどれだけ
固まっていたのかが
分かって
肩の力が抜けて…

以来授乳の時には
肩の力が抜けるように
なった
その後もずっと
授乳のたびに

 

実習生にもね
こんなパワーがあるんですよ
彼女のことは
忘れないだろうなぁ…
名前はもう忘れたけど

 

そんな囲まれて授乳する
時間の方が
よっぽど恐怖になってきて
泣いても息子と2人きりの
授乳の方が穏やかでいいと
感じるようになった

おっぱいがよくでるように
あっためたり
マッサージしたり
やれることは
なんでもやった

子宮の回復も
先生が驚くほど早くて
退院する準備は
母親は万端だった

 

直母(ちょくぼ)で飲めないから
絞って哺乳瓶で
飲ませるようにしたら
多少体重も増えてきて
ホッとしたものの

飲めないのでは困る

 

早く帰りたいと訴える私に
絞って飲ますことを条件に
6日目退院許可がでました

退院して一度自宅に戻り
2〜3日してから
実家に里帰り

ここからまた
おっぱいとの格闘が
始まりました

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