おっぱいの思い出①

お休みの今日名古屋で
ヤボ用をすませて
帰り道

末っ子から
「パパとプールいってくるー」
とうれしそうに
報告のFaceTimeが入った

 

中1と小5の兄姉は
もぅ家族で遊びに行くことより
友だちと遊びに行きたいので
みんなででかけることが
なくなってきたな…

上2人は年齢も近いので
プールでも公園でも
一緒に動いて遊べたけれど
少し年が離れて
2年生の末っ子は
遊んでもらえない

 

まぁ
中1と小2では
一緒に遊ばせるのも
ムリがありますよねぇ…

 

どうしたもんかと
考えながらの
名古屋高速爆走中

 

何となく
2人目の娘の妊娠を
思い出してたんです

 

 

子どもは3人欲しいと
思ってましたが
長男を溺愛しすぎて
もうこの子1人を
じっくり育てようって
考え直してたころ

2人目の妊娠が判明

事故でしたね
デキちゃった出産です

 

娘には申し訳ないのだけど
産みたくないとまで
思ってました
同じように
愛せる自信がなかった

 

息子は
まだ2歳にならない時で
おっぱいも飲んでいた

妊娠すると母乳は
やめなきゃいけない

授乳すると
子宮が収縮するからと
本に書かれていたので
ショックを受けた

でも受診したら
母乳はあげてていいよって
先生が言ってくれて
よかったーー

と思ってすぐ
出血があり
薬を飲むことになったので
母乳はやめなくては
ならなくなって

 

好きで兄になったワケでも
大好きなおっぱいからも
離される
この子がかわいそうで
かわいそうで

親子で大泣きしながら
断乳をした記憶が残ってます

 

卒乳は子どもの方から
もういらないって
おっぱいから離れること

断乳は親の方から
おっぱいをやめること

 

 

舌小帯(ぜっしょうたい)
と呼ばれる
舌の下にあるエラのような
ものが普通よりも長くて
舌が前に出せず
それによっておっぱいがうまく
飲めない病気(?)を
持って生まれた長男

生まれてすぐ
それが分かったのですが
産院では何も処置してもらえず

 

でも生まれてすぐの赤ちゃんには
母乳しかないのに
それがうまく飲めない

だいたい産院で入院してる間に
親子で練習して飲めるようになり
赤ちゃんの体重が増え始めたら
退院する

ところが私のおっぱいは
でているのに
息子は飲めなくて
体重が増えていかない

生まれたての赤ちゃんの
胃袋は10円玉くらいだそう

そんな小さな胃も
満たしてあげられない

お腹が満たされないから
寝ないし
泣いてばかり

授乳のたびに
助産師さんたちに
やいのやいの
助けてもらってたけど
飲んでは体重測定
飲んだ分だけ増えるはず
息子の体重は減るばかり…

 

でも完全母乳の産院だったので
ミルクは絶対足さない

 

私も
泣きっぱなしでしたよ
なんでこんな小さな子の
お腹を満たせてあげられないのか

ごめんね
ごめんね

泣かれるたびに
私も泣いてた
でもだんだん
授乳が恐怖になってきて
泣かれることが
怖くなって

早く帰りたいって
個室で2人きりにされて
夜は1人で授乳で格闘
こんなところから
早く出して!!
看護師や先生にも訴えたけど
長男の体重が増えないことには
退院させられないの一点張り

 

夜が長くて
抱っこから降ろすと泣くから
ずぅっと抱っこしてた
おっぱいがあげられないなら
抱っこしかしてやれない

降ろすと泣くから
抱っこしてて
ご飯も食べられない

というか
食べる気になれない

食事が豪華な産院だったのに(笑)

昼間来てくれる母や友人と
いる間は平気だったけど
まだ子どもと2人になると
恐怖がやってくる

今思えば
産後ウツってのに
かかってましたよね

おかげで退院までに
出産前の体重まで落ちました
1週間で10キロ

 

帰りたい
帰りたいって

ごめんね
ごめんねって

泣いて過ごした産後

もともと閉鎖的な空間は
苦手で
空気の流れない
締め切った部屋では
息苦しくてダメなんです

 

 

あれー
なんでこんな話に
なってきたんだっけ(笑)

お盆期間中は
私の思い出話シリーズに
しちゃいましょうかね

人生で一番
ツラい夏
そして人生で一番
幸せだった夏でもあった
12年前に
タイムスリップです

これから出産を控えたママ
ワカルわーって
共感して頂けるママ
よろしければ
お付き合い下さい

たぶんそれなりに
役に立つ話です!

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