3.11が特別な日になってほしくない

卒園式や入学式
「式」というものを
重ねやりたかった

 

3.11におきた
東日本大震災の報道で
娘を亡くした母親が
語っていたこと

 

あれからもう13年も
経ちました

 

今でも鮮明に
あの日のことは覚えている

 

不気味に揺れる家

 

いつまでも
ゆーっくりと揺れていた

 

震源地の方は
信じられないほど
激しい揺れだったことを
後の報道で知るのですが

 

とにかくあの日
あの黒い波が押し寄せてきた
あの光景が忘れられない

 

私はあそこにいたら
子どもたちを守れたのだろぅか

 

いつもそう考える

私があそこにいて
生き残っていたら
何ができただろぅか

 

あの場に
自分がいたと
子どもたちがいたと思うと
怖くて震えが来ます

 

昨日大河ドラマの後に
あの日の証言をする
市の職員の葛藤をみました

 

泣けてきちゃう

 

死ぬのもイヤだけど
自分ひとりだけ
生き残るのもツラい

 

もっとやれることが
あったんじゃないか

 

違う方法が
あったんじゃないか

 

今でもその苦しみを
生きている人たちは
抱えている

 

それを
私は受け止めることが
できるだろぅか

 

今日は労基に行った時
契約の日にちを記入する時
3.11と書くたびに

 

式を重ねてやりたかった

 

という言葉が
アタマをよぎりました

 

中学校の卒業式が
つまらなかったと
思ってしまった自分が
恥ずかしく情けないわ

 

当たり前に感謝をする

 

そう考えられるように
意識を持っていこうと
年初に決めたのに

 

式を重ね
成長する我が子を見られる
この幸せを
大切にしないといけない

 

3.11という日が
忘れられることなく
特別な日であってほしい

 

でも忘れられるほど
平和な世の中がきてくれることも

 

願ってしまう

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