生きるとは
昨日の
県民文化大祭典一宮に
足を引きずってまで
参加したのは
長男の学校の教員が
講演をしたからなんです
こちらの著者
11歳で発症した娘の脳腫瘍。手術後、寛解したものの6年後再発、そして再再発。右半身麻痺、失語症に加え、失われていく光、精神症状を伴う発作と怒濤の日々の中で、これから先何があっても娘と向き合い、寄り添い、支え、抱きしめていこうと決めた父と母。闘病しながらの学生生活、夢を諦めず絵を描く姿、発作時の言動やその対処の様子など。父と母、それぞれの視点からの娘の闘病と介護の記録。
坂野先生
高校の社会科の先生です
そして
ハンドボール部顧問
長男がお世話になってます
また父母懇談会でも
動いてくださる先生
本にはない
エピソードも交えて
お話して下さった
泣けることは
わかっていたので
マスクもあるしと
ノーメイクで登場園長
娘さんを通して
たくさんのことに
気付かされた経験
親として
一番ショックだったこと
もぅ
泣けて泣けて…
家族で全力で支えた
記録です
その中で先生は
お嬢さんから
教わったことを
5つにまとめてらしたので
それを紹介します
生きるとは
学ぶこと
選択すること
食べること
誰かの役に立つこと
自分らしくあること
たった18歳の少女は
こんなことを
考えて生きていた
どんな彼女でも
受け止めようとした
ありのままの彼女を
それが
ちゃんと娘さんは
感じ取っていて
手記に残している
母親の和歌子さんは
それを
娘からご褒美をもらった
ようだと表現されて
再再発から
余命宣告を受けて
過ごした時間
薬の副作用で
精神的に不安定になり
死にたい
死にたくない
生きたい
を繰り返す
なんのために生きているのか
その答えは
誰も見つけられない
でもある時口にした
シュークリームの
おいしさが
彼女にチカラをくれた
おいしぃ
食べることは生きること
何がキッカケに
なるかわからないものです
私はもぅ
シュークリームを食べるたび
彼女を思い出すでしょう
一緒に
食べたかったなぁ
誰かの役に立ちたい
自分の記録が
誰かのためになるかも
しれないから書いて
とお嬢さんに言われて
本を出版されました
お嬢さんご本人も
書けるところまで
一緒に書かれてます
入院中に通った
院内学級の様子
点滴につながれながら
車椅子に座りながら
余命宣告を受けてまで
ゲームでもないのに
それはそれは
楽しそうに学ぶ姿
教員として
学ぶとはこういうことかと
涙を流されてました
聞いてほしかった
逮捕された保育士にも
今
虐待してる人にも
生きるとは
カンタンなようで
難しいね